オマチマンのニッキ

 


2004年 4月30日(金) 東京都町田市 オマチマン事務所     


今日で4月もお終いだね。みんなはどんな1ヶ月だったかな。
僕はニッキを書いているので、みんなにはバレバレだよね。暇だと思ってたけど、いろいろありました。
ここ何日かはCDジャケットの最後の詰めをしておりました。
今日なんかは、新宿まで出て、小田急線の改札口のところで印刷屋さんと最終確認をしてきたところです。
これで僕の手を離れて、あとは印刷屋さんとCDの製造屋さんにおまかせとなりました。
順調にいけば、5月18日には事務所に納品されると思います。
長かったような、短かったような、充実した1ヶ月半でした。
ヘッドホンで聴いたりラジカセで聴いたり、いろいろな形で聴いたけど、だんだん好きになりました。
良いと思うよ。まぁ親の欲目だけどね、自分の子は可愛いのよ。そんな感じ。
みんなにも可愛がられるといいなぁ。
「オマチマンのCD」のコーナーに、少しずつ情報を書いています。こちらも読んでみてね。

「賢治の自遊楽校」にスタッフとして参加するため、これから出発するのだ 。
明日の朝はGWで混むことが予想されるのでね。毎年このパターンだよ。
東京を空いているうちに脱出して高速のパーキングで仮眠するのだ。
ニッキは書けるかなぁ、ちょっと自信ないけど時間がとれたら書くからね、お楽しみに。
行ってきます、みなさんも楽しいGWをお過ごし下さい。


2004年 4月26日(月) 東京都町田市 オマチマン事務所     


叔父のお通夜と告別式に昨日今日と参列してきました。
いろいろ考えた2日間でした。
死ということ、冠婚葬祭のこと、親戚とのお付き合いのこと、なんだかいろいろなこと、
2日間、仕事は出来なかったけど、良い2日間でした。
明日から、またがんばろう。


2004年 4月23日(金) 東京都町田市 オマチマン事務所     


上海から帰ってくると仕事が待っていた。そして、いろいろなことも待っていました。
仕事はCDジャケットの第1稿を印刷屋さんに出したり、5月からの仕事の営業をしたり
そして、上海のニッキを作ったりで、アッという間に1日がすぎてしまいました。
いろいろはおじさんが亡くなっていたこと。これからお通夜やお葬式とかに参列しないとね。

もうすぐゴールデンウィーク、みなさんはどんな予定ですか。
賢治の自遊楽校の参加者は、バスの関係であと10名のみ、大丈夫だそうです。
まだ迷っているあなた、申し込みはお早めにね。
スケジュールも少し仕事が入りました。行く場所の近くの方々、前後の日程で検討してね。
ひとつ、お願いマンモスなのです。


2004年 4月18日(日)〜22日 中国上海市     


掲示板に探さないでくださいって書いたけど、中国上海に行っていました。
番頭'ズの海外ミーティング第2弾です。99年1月の韓国での第1弾ミーティング以来5年振りです。
去年の秋くらいから計画をたてていて、どこに行こうか考えてましたが
メリーゴーランドの森仁太郎さんが20年振りの上海に行きたいとの一言で決まりました。
僕のCDで写真を撮ってくれた小沢チンパン芳彦さんにも声をかけたら、すぐに参加決定。
アトリエ自遊楽校の平山ラーメンさんとの4人旅となりました。
では、番頭'ズミーティングin上海の報告です。

4月18日(日)
名古屋の仁太郎たちとは別に、僕とラーメンは1日早く成田を出発しました。
今回の旅は、ホテルは僕の1月訪中でお世話になった方に頼みましたし
移動などは昨年の雑木林キャンプで知り合った梅田さんにお願いしました。
梅田さんは上海の近くで電話関係の工場をやってらっしゃる方です。
空港で出迎えていただいて、ホテルにチェックイン、そして上海料理をご馳走になっちゃいました。
初日から言葉には不自由しないし、美味しい食事にはありつけるし、まぁなんて運がいいんでしょうねぇ。
さらに、梅田さんの部下のトーキー君には、日本語が話せる女の子をガイドとして紹介してもらいました。
明日から、彼女の都合の着く限り同行してくれることになりました。
これで言葉の問題も解決しちゃったし、万々歳。なんだか楽しくなりそうだぞ。

    

4月19日(月)
仁太郎たちは午後に着くのでそれまで上海観光をすることにしました。
今回の旅は仁太郎以外は誰も上海のどこに行きたいとか、美味しい食べ物とかは調べていない。
僕とラーメンは頭が豆腐状態のフニャフニャでホテルの名前もうろ覚えなくらいの状況なので
昨日紹介してもらった中国娘に頼りっきりの状態でした。
彼女は日本語が片言ですが 話せます。日本風のニックネームはリカちゃんと言うのですが
僕たちは別名で「姫・ヒメ」と名付けました。まぁ僕たちは姫に使える従者って感じになっちゃいました。
何故かというと、悪い意味ではないんですけど、おまえとか命令口調なのね。
敬語とか、いろいろ大変でしょ、それに僕たちが大喜びするのでますます元気になっちゃったってわけね。
で、その姫に案内されたのが豫園(ヨエン)という観光地をお散歩しました。
中国的な建物や庭、お土産屋さんが並んでいて、とってもいいところでした。
歩いているとギターと二弓の調べが聞こえてきた。お店の人がひまなのか楽器を弾きながら歌っていた。
しばらく見てたんだけど、やっぱりやりたくなっちゃうでしょ。
「俺にも弾かせろ」と身振りで言うと、快くOKしてくれた。
曲は全く知らなかったけどマイナーな日本的なメロディだったので、すぐに合わせることができた。
これぞ旅の醍醐味だね。そういえば前にはパラオでもフォークデュオとセッションしたっけなぁ。
午後に空港まで仁太郎とチンパンを出迎えに行きました。 姫と偽カップルの真似をして出迎えたりして楽しく合流。
夕食は僕が中国公演で美味しかったとお勧めした火鍋に決定。辛いもの好きのチンパンは大喜び。
飲んで食べてしゃべって、僕たちは2日目、仁太郎たちは初日にしてもう大満足の旅になりました。
その後さらに繁華街に出て夜の町を散歩。遊園地の電車のような乗り物に乗ったりして遊びました。

 
 

4月20日(火)
ホテルは紹介してもらっただけあってすごく安かったうえ、朝食までついていました。ラッキー。
やっぱり仁太郎とチンパンも豫園が見たいだろうと再び豫園へ。僕は似顔絵に挑戦。
描いてもらっていると周りは人で一杯になった。出来上がりは今いちかなぁ、なんだかおばさんみたいだったね。
いろいろとお店を冷やかして、お昼から姫と合流。昼間っからビールでグデグデ。プァーってか。
午後は地下鉄に乗って上海科技館へ。上海のチィルドレンズミュージアム なのかなぁ。
子どもが遊ぶ施設や生き物、地球、とかテーマ別にいろいろある、とにかくバカでかい建物でした。
別料金で3Dじゃなくて世界初という4Dの飛び出す映画も見ました。眼鏡をして観るやつね。
海賊の映画なんだけど、虫は飛び出すは、水はかけられるはの大興奮の映画でした。
上海人はあまりいなかったけど、これから人気がでるかなぁ、どうかなぁ、難しいかなぁ。
また地下鉄に乗って、ホテルに帰って一休み、ホテルの部屋は21階、夕陽が綺麗でした。
夕食は梅田さんと合流し上海の家庭料理のレストランへ。
お店には上海の久米宏と言われる人気アナウンサーも来ていて、人気のお店だそうです。
うん、いろいろあってね、美味しかったよ。僕はとっても食べやすかったです。
上海の夜景は有名でしょ。行ってきましたよ。すごい人混みだったよ。でもとっても綺麗でした。
その後は、仁太郎の20年前をたどる旅、第1弾。和平飯店でジャズを見て聴くコーナー。
何でも20年前に学生だったときに初めて上海に来て、その時は情報がないから料金の高い和平飯店に泊まった。
そこでおじさんたちが奏でるジャズバーに入ってえらく感激したっていうのね。
行ってきましたよ。もう当時のまんまだって、20年前にいたおじさんがまだいたっていうもの。
もう、誰でも知ってるスタンダードばっかり。お客は世界中の人が集まってきたって感じだね。
楽しかったよ、上海に行ったらぜひ行くといいね。 僕たちの楽しい夜はいつまでも続くのでした。

 
 
 
 

4月21日(水)
番頭'ズとカメラのチンパンがいて仕事をしないわけがないでしょ。
初日の日に、上海の幼稚園に遊びにいけないか、当たってもらっていたのね。
ありました、トーキー君の奥さんのお母さんが学校の先生でした。その関係で幼稚園に訪問することができました。
中国の幼稚園は慣れてるよ、だって1月に来たばかりだもん。なんちゃってね。
まず僕が手遊びというか、ガチャガチャやって雰囲気を作って、ラーメンの新聞シアター。
視覚的なものを持っていなかったので、この新聞シアターはすごく喜ばれました。
音源もパネルも無かったので、あとはみんなで歌って、遊んでおしまい。子どもたちは3才くらいかな。
お礼に幼稚園の子どもたちから中国の歌のプレゼントをいただきました。ありがとう子どもたち。
ご協力いただいた園長先生、トーキー君ファミリー、ありがとう。やっぱり子どもと遊ぶのは楽しいね。
今度は日本の先生たちを連れてくるので、よろしくね。
終わってからのお昼は上海ラーメン。麺と具が分かれて出てくるんだけど、僕は鳩肉をチョイス。
鳩の肉だよ、それも頭までしっかり出てきた。写真でわかるかなぁ、気の弱い人は見ないでね。
その後は、骨董品の市場に行ったり、バッタもんが集まっている市場に行ったりしました。
しかし、コピー商品の多さにはびっくりしたよ。安いよ安いよ、ロレックス安いよ、こればっかし。
夕食の前に、仁太郎の20年前をたどる旅、第2弾。幻のお風呂屋さんを探すコーナー。
20年前、その時知り合った中国人に連れて行ってもらったお風呂屋に行きたいというもの。
実はこの時、中国語がわかる人がだれもいなくて、言葉の出来ない僕たちの4人きり。
大体をタクシーで行ってからがたいへん。何人の中国人に道を聞いたでしょう。
もうね、全部違うこと言うよ。100mで聞いたって右と左と違う。もう迷いっぱなし。
その迷ったおかげで、面白いことがあった。日本人が入れないような町並みに迷い込んでしまったこと。
これがいいのよ、生活感があふれていてね、これぞ中国の活力って感じね。
魚・肉・野菜・なんだこれと、ほんといろいろ見させてもらいました。写 真は怖くて撮れなかったけどね。
もう一つは、ギターを買ったこと。えっ、またギターかよって言われちゃうよね。
いや、たまたま入った楽器屋のディスプレーにハデなギターが置いてあったのね。
試しに弾いたら、チューニングも狂ってないし、250元(3750円)だったし、 写真も撮りたかったし
の理由で買ってしまいました。 帰りが大変だぁ、と思いながらも内心は嬉しかったのでした。
あぁ、話がそれたけど、いろいろ寄り道はしたけど、その幻のお風呂屋さんをやっと見つけて入ってきました。
ここも20年前と全く変わってないんだって。でもね、ちょっと怖かったね。一人じゃ絶対入れないね。
でも気持ちよかったよ、みんなと裸の付きあいも出来たしね。
仁太郎は垢すりまでやって、20年を振り返ることができて大満足してました。
その後は、ネオンがまたたくところで路上ライブをしている写真撮影を敢行。
さっき買ったギターを弾くオマチマン。写真を撮るチンパン。でもお客は全然集まらない。
まっ、そんなもんね。でも写真はバッチリ撮れたみたいだから、どこかで発表するからね。
最後の夕食は遅くなったけど姫を呼んでとりました。最後の最後まで僕たちを楽しませてくれた姫。
こんなおじさんたちに付き合ってくれてありがとう。また上海に行ったら会ってね。
そして今度もまた日本語爆笑シリトリしようね、すっごく楽しかったよ。

 
 
    

4月22日(木)
空港まで1時間、成田は10時、名古屋は11時出発だったので7時前にはホテルを出ました。
楽しかった旅もこれでお終い。どうだったかなぁ、みんなも楽しめたかな。僕はすっごく楽しかったよ。
前の韓国から5年振り、また次が5年後だったらけっこうな歳になっちゃうから、今度は2年後ね。
これからは2年に1回しようよ。番頭'ズ・ミーティング、響きもいいしね。
チンパンもいつもおいでよ、だって写真撮ってくれるから楽だし、僕とはいつも同室だしね。
写真は早くにまとめてちょうだいね、そしたらチンパンのin上海を発表しようよ。
帰ってから、それぞれの職場で頑張ってまた2年後ね。でも5月の賢二の自遊楽校でまた会うんだったけ。
いつまでも僕たち仲良くやろうよ、だって俺たち「番頭'ズ」だもんね。
僕はとっても人に恵まれている。それは僕が人を大事にしているからだと思う。
今回の旅でお世話になった方々、心からありがとう、また会いましょう。

 

番頭'ズはただ遊びに行ったんじゃないよ。
今回の旅はきっとみんなと一緒に行けるスペシャルな企画になって、お届けできると思います。
いつかなぁ、えっ、きっと来年のお正月あたりかって、ちょっと早すぎるかな。
行きたい人は「この指とまれ」だよ。番頭'ズの誰でもいいから連絡してね。


2004年 4月14日(水) 東京都町田市 オマチマン事務所     


昨夜は夜遅くまでジャケットのことでダイゴたちと打ち合わせ。
やっとおおまかなラインが出来てきたので、後の作業は早くなることでしょう。
写真もいろいろ選んだんだけど、なんか自分の写真を選ぶのにちょっとテレがあるね。
早くそういうことにも慣れないとね。
今日は、代々木上原の日本音楽著作権協会JASRACにいって著作権使用の申請と
新大久保のSESに行ってマスターのCD-Rを受け取りに行き
そのまま、CDを製造してくれるメモリーテックに青山まで行って来ました。
トラやの頃から長いことCD制作をしているが、メモリーテックに行ったのは初めてだったし
担当の方にも電話では10年以上もお付き合いがあったのですが、会うのは初めてでした。
どうぞ、よろしくお願いします。頑張って再プレスできるようがんばります。
これで音関係は僕の手を離れてCD製造する段階となりました。
後はジャケット。これがなかなか難しい、もうひと頑張りだね。

話は変わりますが、僕のPCの調子が悪い。
PCというかメールなんですけどなんだかウィルスにやられているみたい。
なんだかわけのわからないメールがいっぱい来るのね、それと何だか僕の方から皆さんにも出している様子。
それとかホームページのアドレスをお知らせしたら、なんだか変なところにアクセスしちゃったりしているらしい。
これから、いろいろ手当をしますが、もし変なことがあったりしたら、ご連絡下さいね。
ところでMacのOS9のウィルスチェックする方法を知っている人、いろいろ教えてください。
よろしくお願いします。


2004年 4月9日(金)〜10日(土) 山梨県南都留郡山中湖村 山中湖スタジオ(SES)     


山中湖にトラックダウンに行ってきました。
9日、町田を5時に出て白金に小松崎さんを迎えに行き、6時30分には東京を出発していました。
東名御殿場で降りて山中湖へ向かうと、でっかい富士山がお出迎え、日本人はやっぱり富士山だよね。
スタジオに着くと、このスタジオを紹介してくれたYSPの五明君も来てくれていました。
今回のミキサー三田村さんは五明君の専門学校時代の同級生。てことは、また若い世代にお世話になるって事ね。
やっぱりこのアルバムはそんな流れになっているんだろうな、と不思議に思った。
スタジオはりっぱだよ、PA卓は96CHもあるんだけどね。
でもさぁ1曲目に予定している受験生ブルースはボーカル、ギター、ベースの3chでいいんだけど、ねぇ・・。
まぁ細かいことは言わないで、作業にかかってもらいました。
三田村さんは若いけど(28才)フォークが好きで、拓郎だったら「祭りのあと」なんだってさ。
もうそれ聞いただけで大成功間違いなしだよね。それと三田村さんとは五明君の結婚式でも会っているんだって。
僕は人間関係を大事にするから、これもこのスタジオとミキサーにお願いしたのが大正解だったわけ。
三田村さんはなんかパワフルに卓に向かっていて、とってもいい感じ。
小松崎さんや僕がこんな感じ、と言うことを即座に実現してくれるの、素晴らしいね。
また一人つながりの出来た人と出会えて嬉しいな。
いつかまた、次のアルバムを着く作るときにも、ぜひお願いしたいと思いました。
トラックダウン、ミックスも無事に終わって、あとは東京に帰ってマスターを作って音は完成。
たくさんの人の協力で出来上がっていく。みんなみんな、ほんとにありがとう。

 
 


2004年 4月7日(水) 東京都港区 赤坂のスタジオ     


4日の娘たちとの録音の後、5日はジャケットのことでいろいろと打ち合わせ。
6日は歌やリズムなどの最終チェックでした。
そこで、どうしても気に入らない曲があったのでもう一度歌を入れ直したりしていました。
今日は録音の最終日、ストリングスを入れました。
小松崎さんの知り合いの方、っていうことだけ聞いていたんですけど、こんなに若い子だとは思いませんでした。
バイオリンのMOMOKAちゃんは今年音大に入る、大学生。すごく才能と順応性のある子でした。
小松崎さんがこれからいろいろと応援していくようですので、みなさんもどこかで見かけたらよろしくね。
「教訓氈vでソロをとってもらったり、4曲もストリングスを入れてもらったりで、ご苦労様でした。
いつかどこかで一緒のステージができるといいね。
ということで、僕と小松崎さん以外はチョー若いメンバーのサポートとなったこのアルバム。
ギターの甥っ子ナオキは20才、娘たちは15才と12才、そして今日のMOMOKAちゃんが18才。
僕や小松崎さんの世代と若い子たちが一緒に作ったサウンド、お楽しみにね。
明後日から横浜ステージプラン・五明君の紹介で、山中湖のスタジオでトラックダウンです。
いよいよ音の方は大詰めだね。
あとはジャケットだけど、こっちも掲示板デビューした甥っ子のダイゴが頑張っています。
こちらもお楽しみにね。

 


2004年 4月4日(日) 東京都港区 SAMプランニング     

昨日3日で歌入れ終了。曲は「ボーナストラック」と「いちご白書をもういちど」の2曲。
なんだよ、そのボーナストラックってさ、気になるよね。
やっと今日いろいろなことが無事に終わったので発表できます。
ボーナストラックは「おおきな古時計」を歌っています。
なーんだ、って思ったかな。そう幼稚園や保育園のコンサートでいつも最後に歌っているんだよね。
この曲を僕の娘たちと演奏できたらなぁと思っていて、今日その録音が終了したので発表できるのね。
長女の梨純(リズムと読むの)がアコーディオン、次女の奏絵(カナエだよ)がバイオリンを演奏しました。
そして僕がガッドギターなの。少し小松崎さんに手伝ってもらったけどなるべく親子3人でやりたかったのね。
コーラスも急遽お願いして3人で歌いました。なかなか良い雰囲気で出来ました。
すいませんねぇ親バカで。まぁほのぼのとした感じで聞いてもらえたらいいんだけどね。
その録音を夕方までで終わらせて、その後は久しぶりに子どもと遊びに行った。
どこに行こうかと思ったけど、結局近くの東京タワーへ。なんで今さらって感じでしょ。
お台場に行こうかと思ったんだけどすごく混んでたので変更したわけ。
で、高いところから東京を見たりして、それからゲームセンターにも行ったのね。
いやぁ、子どものすごさにびっくりしたね。えーとミュージックなんとかっていうゲームね。
これが娘たちはチョーうまいの、とてもじゃないけどついていけなかったね。
その他にもいろいろ遊んで、そして食事をして帰したんだけど、楽しかったよ。
久しぶりだった、父親の役割もちゃんとしないとね。
娘たち、ありがとう。遊んであげたようだけど、付き合ってくれたんだよね。
お父さんは楽しかったよ、またデートしてね。

 
 

2004年 4月2日(金) 東京都港区 SAMプランニング     


歌入れ2日目。
しかし毎日同じ場所で仕事をしていると、写真も同じようなものしか撮れないし、ニッキの内容も同じなんだよね。
まぁしばらくはごめんしてね。
今日は「イムジン河」「遠い世界に」「あの素晴らしい愛をもう一度」の3曲。そう1日3曲のペース。
歌を歌うことがとっても楽しくなったね。音程とかリズムとかを意識しながら、気持ちを込める。
少しだけど歌のことがわかってきたかもしれない。これもこのレコーディングのおかげだね。
だんだん慣れてきたのか時間が早く進んでいたので、もう1曲歌入れができた。
「祭りのあと」って歌。気持ちが入ってうまく歌えた、と思うよ。
明日はあと2曲の歌入れ、頑張るね。
早くも予約なんてもらっちゃってうれしい限りです。
CDタイトルとか定価とか決まってないんだよね。
なんか出発するとか、今の人生観だとか、前向きなタイトルにしたいんだけど、なかなか思いつかない。
いい案があったらアドバイスしてください。
定価はなるべく、なるべく安くしたいんだけど、いろいろかかっちゃったからなぁ。
ホームページのCDのところで、近いうちに発表しますので見てね。


2004年 4月1日(木) 東京都港区 SAMプランニング     


さぁ、今日から新年度、頑張りましょう
CDの録音もいよいよ歌入れとなりました。まだ一部楽器とか入れなくてはいけない曲もあるけどまずは歌なのだ。
今日から3日間、1日3曲を目標に、全体も手直ししながらの録音となりました。
やっぱり歌は難しいね。皆さんも自分の声をテープレコーダーとかから聞くと変な声って思いませんか。
僕も始めは慣れなくてねぇ、自分の声じゃないって思ったんだけどね。
でもCDを作り出してからやっと自分の声に慣れてきたよ。
まぁちょっと鼻が詰まってるみたいだけど、ストレートな真っ直ぐなって同じか、そんな声だね。
今日の曲は「雨が空から降れば」「風」「なごり雪」の3曲、順調に出来ました。
小松崎さんとは好きな曲の指向がけっこう合うので、コーラスとかでたくさん入ってもらっています。
昔ウエストコーストでヶニーロギンスというシンガーソングライターがレコードを作るとき
プロデューサーにジムメッシーナという人を迎えてレコードを作ったのね。
本来はヶニーロギンスの名前だけで出るはずだったんだけど、ロギンスwithメッシーナという名ででたの。
でその後、そのプロデューサーとグループを結成して「ロギンス&メッシーナ」というグループになったんだけど。
まぁ一人からwithになって&になったんだけどね。この違いわかるかなぁ。
僕も今回の小松崎さんとは、だんだんwith状態になってきちゃって、小松崎さんの出番が多くなっちゃったのね。
だからオマチタダシwith小松崎純に 近いCDになってるってことね。
まぁその辺もお楽しみってことかな。
ホームページリニューアル、どうだったかなぁ。掲示板とかメールで感想を聞かせてください。
作った甥っ子たちがすごく反応を気にしていたからね、よろしくね。

 
 歌う小松崎          キーボードを弾く小松崎     寝てないよ試聴している小町    楽譜の上にお煎餅























いままでのニッキ
2004年
2003年
2002年
9月後半
9月前半
8月
7月